鬼・甲骨

今回は「鬼」の字の話をしたいと思います。

京都は鬼がよく出る街で、酒呑童子の「鬼退治」は有名ですが、平安時代には月に一度、大勢の鬼たちが京の夜の街を闊歩する「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」という日があったそうです。

平安時代のにぎやかな鬼たちのルーツは古く、三千年以上前の古代中国に始まります。今は「恐ろしい化け物」のイメージで用いられる「鬼」ですが、もともとは「死んだ人の行くあの世での姿」を表していました。

人は死んだら「人鬼」になると考えられていました。そこは霊の漂う世界なので、「(こん)」という字もできました。「(うん)」は雲気=雲のようにただよう気配を表します。それに鬼という字を合わせて目に見えない霊魂=「たましい」という意味となりました。

その「鬼」という字が「恐ろしい化け物」のイメージを持つようになったのは、おそらく自分たちとは異なる世界に生きている人々の存在を意識し始めたからです。自分たちの支配勢力が及ばない未知の土地に住んでいる人々は、自分たちとは顔も言葉も違う、得体の知れない不気味な存在だったに違いありません。自分たちを脅かすかもしれない異なる世界の人々を「鬼」と呼び、油断しないようにしたことからいつしか「人を襲う恐ろしい化け物」のイメージへと拡がっていったと思われます。

鬼・甲骨(鬼・甲骨 3300年前)

鬼という字の古代文字を見ると得体の知れない顔が「田」の形で強調されています。その顔の下にひざまずいている人の姿が描かれています。

鬼・篆文(鬼・篆文 2200年前/ムと角が追加されている)

のち、怪しげな雰囲気を表す「ム」と上から(つの)のような物が追加されて現在の字となりました。

異・金文(異・金文 3000年前)

その恐ろしい顔をした人が両手を挙げて威圧するように正面を向いている姿が「()」=「異なる」という字です。田は両側が尖った恐ろしい顔を、その下の「共」は両手を高く挙げた姿を表します。まさにこの世のものではない異形(異なる形)の顔をしています。

平安神宮節分祭・鬼

この写真は、平安神宮で行われる節分祭(鬼やらい)の一場面です。写真に写っている鬼の姿は、手を挙げればこの「異なる」という意味の「異」の古代文字にそっくりです。それにしても「異」の古代文字は印象の強い字で、恐ろしい化け物の姿を見事に描いた字です。

 

さて、京都の「百鬼夜行」のエピソードを一つ。「今昔物語」に出てくる話です。

平安時代、京の街を鬼たちが闊歩するその日、夕方から人々は外出をひかえていました。ところが、名門貴族のお坊ちゃん、藤原常行はその日も鴨川の向こうにいる好きな女の人のもとに通おうと家を出たのです。家を出てすぐ「美福門通り」(二条城の西側の通り)に来た時、例の鬼たちのしゃべる声が聞こえきました。ぞっとしてすぐそばにあった「神泉苑」の北門の中に隠れて通り過ぎるのを息を殺して待っていました。

次第に近づいてきたその時、リーダーの鬼が「人間のにおいがする、探してこい」と部下に命じる声がします。二、三名の手下が常行の隠れている門に近づいてきます。今にも門をあけようとしたとき、「あれ、においが消えてしまった」といって家来たちはリーダーのもとに帰って行きました。

リーダーは「そんなはずはない」といって自ら門までやってきて今にも門を開けようとしたところ、やはり「おかしい、においがしない」といってあきらめて戻って行きました。常行は門の中でガタガタ震えるばかりでしたが、女のもとに行くのをやめて大急ぎで家に帰りました。家に帰っても震えが止まらず、高熱が出てしばらく寝込んでしまいました。

家族の者が心配する中、ようやく元気を取り戻したとき、看病してくれた乳母(うば)に事情を話しました。「どうして助かったのかわからない」と。すると乳母は「それは仏様のご加護があったからです。坊ちゃんのために着物の裾の中にこっそり「陀羅尼経(だらにきょう)」のお経を書いた布を縫い付けておいたのが利いたのかしら、ご利益があってよかった、よかった」と喜んだという話です。仏教の功徳を教える話ですが、お経を縫い付けて「お守り」にするという発想が、すでに平安時代にあったんですね。

鬼にまつわる古い都のお話です。今昔物語という説話集は、平安時代の京都の人びとの日常生活が生き生きと描かれています。機会があればまた京都のとっておきの話を紹介したいと思います。

放送日:2015年2月9日