地下鉄東西線蹴上駅(出口②)から地上に出ると南禅寺へ向かうレンガ造りの小さなトンネルに出合う。そのトンネルの入り口に書かれている篆書体の字が「雄観奇想」である。
かつて琵琶湖の水を京都にまで引くことなど夢物語であった。しかし、明治の時代にそんな奇抜なアイデア(奇想)を抱き、実現させてしまった人たちがいた。発案者である当時の京都府知事・北垣国道と推進役の若きエンジニア田辺朔郎である。
山を掘り、トンネルを通し、山を掘り、トンネルを通し・・・気の遠くなるような作業を五年重ねて、琵琶湖から京都まで物資を運ぶ水路、琵琶湖疏水を貫いたのである。琵琶湖側から山中をぬってきた水路は、東山蹴上で高低差のある京都側の船着き場まで台車に載せて船を上下させる線路「インクライン」へとつながれる。その傾いた地形の真下に掘られたこの小さなトンネルは、強度を保つためにレンガを斜めに積む「ねじりまんぽ」という独特の技法が用いられている。若き田辺が欧米から学んだ技術の粋を集めて作り出した疎水の景観こそ、明治の新しい世を象徴する「雄観」という言葉にふさわしい。
「雄」という字は鳥のオス、雄鶏のことをいう。雄雄しいというように男性的な特性をさす。「隹」は鳥のこと。「観」という字も鳥を使った占いからできた字。鳥占いで神意を察することから「みる」という意味となる。観の左側はコウノトリを表す。「奇」は願い事の成就を求めるために曲がった刀で神様を脅す字。それは普通のことではないので「ことなる、あやしい、すごい」の意味となる。「想」という字は、木を見ることで木の生命力を取り込み、そのパワーで遠く隔たった人へ「おもい」を届けることである。
三条側入り口にあるこの「雄観奇想」の文字は風雪に耐えて現在もきれいに残っているが、反対側の入り口にある扁額は文字の大部分が剥がれ落ちている。
書かれていた文字は「陽気発處」。朱子の「陽気発する処、金石また透る、精神一到 何事も成さざらん」の一節から取られたもの。この難事業に立ち向かう心意気をしたためたものといえる。すべての始まりは「陽気発する処」からである。この両方の文字の揮毫者は発案者北垣国道その人である。
それにしても、現状の「陽気発処」の扁額はあまりに痛ましい。先人たちの思いをおろそかにしないためにも、この扁額はなんとしても復元修理をしてほしい。
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